旧友再会

今日は本当に笑った、腹の底から笑った・・・

アロハ!

ご無沙汰しておりました。
PR担当のyoga generation 下田です。

前回前々回の記事では、主宰のYoko Fujiwara先生から今回の講座に参加する前からの準備にスポットをあてたものを紹介させてもらいました。

今日は、久しぶりに視察レポートに戻ってきまして、タイトルの『旧友再会』について。

 

今回の、我々yoga generation視察団(男三人衆)のハワイ入りにあたって、「現地で会おう!」と約束していた人が二人いました。

一人は、今回の講座でサポート・スタッフとして現地の宿泊からアシスタント周りのトータル・コーディネーションを担当してくれるTORIさん(次回の記事では彼女の人となりに迫ります。ヽ(´ー`)ノ)。

そして、もう一人が、今回のブログ記事のタイトルに相応しい、元yoga generationスタッフのMohokoこと、ホッコ

 

旧友再会

こう書くと、河島英五さん作詞・作曲のあっちの歌を思い出してしまうのですが、
まさにそのような時間がスローに流れます。

遅い時間でのディナーでしたが、現地で働きながらの忙しい時間を切り盛りしてやってきてくれて、
お酒のチカラも借りながら、懐かしい話に華が咲きました。

現地での仕事をしながらの生活というのは、なかなかタフな仕事の様子で、
しかしながら、仕事のかたわら、チャリティでヨガのモーニング・クラスも催行するなど
元スタッフらしい企画力とハードワークぶりに胸が熱くなりました。

 

IMG_1261

思い想いの人生を、健康で豊かな時間にしたいものですね。

 

ゆっくりと、途中脱線もしながら開催場所のリトリートセンターへと、このブログは続きます。

次回は、このサイトをご覧いただいている方にはお馴染みでまだ謎!?のサポートスタッフ TORI(トリ)さんの秘密に迫ります(笑)

乞うご期待ください!

P.S. おかげさまで8月の時点で当企画講座は最低催行人数を越える参加申し込みがあり、予定どおり開催されることが決定しています。参加ご検討中の方へは、早めの航空券の手配などでリーズナブルな旅の支度をオススメします。

練習のためのヨガ哲学。渡米の前にご一読ください。 by Yoko Fujiwara

「ヨガ・スートラ」
いわゆるヨガの教典ですね。
実は私も実際にヨガマットの上でアーサナするヨガを始める前に、
ヨガって何だ?ってこの本を買って読んでみたのを覚えています。

“Before you’ve practiced, the theory is useless,
After you’ve practiced, the theory is obvious.”
(練習を始める前、理論は使い物にならず、
練習を重ねた後、理論はあからさまになる。)

70年代に最初のアメリカ人の一人としてアシュタンガ・ヨガを学んだデイビッド・ウィリアムズの言葉です。

ごもっとも。
当時、どうにか頑張ってヨガ・スートラを読み進めようと思っても、
頭っからつまずいてしまってなかなか前に進まなかった記憶があります。

もちろんこの大きな理由のひとつには、どうやってヨガ・スートラを読むかのコツを知りませんでした。
しかしながら、読み方のコツを知っていたとしても、どれだけ理解できてたかは定かではありません。
ヨガ・スートラはサマディ(解脱)に至るまでの説明書のようなものです。
その対象となるのは、私たち自身の意識や感覚等となり、
ヨガの練習がその道具として使われていくのです。

後々、ヨガ・スートラを読んで気付いたことは、
ここに書いてあることは、どこか遠くの誰かの物語ではなく、
今現在私の頭の中で起こっていることが記されているということでした。
サマディはいろいろなレベルで起こり、それらは私たち一人一人にも起こり得るのです。

大したことないようですが、これは大きな発見でした。
これを機に、私のヨガ・スートラの読み方が変わりました。

私自身、現実的、及び論理的に物事を理解することを好むため、
単に練習続ければサマディに到達できるなんて言われても納得いかないというのが正直な気持ち。

どうして練習するのか。どうやって練習するのか。どのように練習が効くのか。
ヨガ・スートラにはそういうことがちゃんと記されているのです。
一般のヨガクラスではなかなか勉強できないヨガ・スートラ。
また、それらはあまりにもシンプルに記述がされているため、
先ほども述べた通り、読み方のコツ、及び補足がないとなかなか読みづらいでしょう。

現在では解説付のヨガ・スートラが多種出版されています。
これらの解説を参考に、まずは第1章、第2章を中心に読み深めるといいでしょう。

“99% Practice, 1% Theory”
(99%練習、1%理論)

アシュタンガ・ヨガのグル、シュリ・K・パタビ・ジョイス師の言葉です。

なんだかんだ言ってきましたが、私も練習を続けてきて思うのは、やっぱり結局は練習あるのみなのです。
私にとってヨガ哲学の勉強は、自分がやっている練習の方向性が間違っていないかの確認手段で、
決して哲学書に書いてある道を歩くように心がけている訳ではありません。

本トレーニングは3週間の集中講座となるため、心身ともに大きな変動があると予想されます。
日々の練習、及び自身の意識の変化と照らし合わせながらヨガ・スートラを読むことにより、
各自のヨガの方向性を確認していきます。

プラクティス。自分の学びの先にあるもの by Yoko Fujiwara

私自身、ヨガ・ティーチャーをしていますが、教える側に立つことは自分の練習の延長だと思っています。

私はヨガの練習がすごく好きなだけでなく、生活の一部としてごはん食べるのと同じくらい大切です。これがないと私の人生はちょっと(いや、かなり)狂うと思います。大げさな言い方ですが。

何事も練習を続けるといろんなことがわかります。いいことも、悪いことも、コツも、無駄も。
裏表が見えてきます。
特にヨガは自分がどんな人間なのか、裏表あからさまに見せつけられます。

私にとってヨガのプラクティスは現実を見据えること。良くも悪くも。現実を見据えることによって、周りで起こる事情に動揺しなくなります。こうやって私は自分の中の平穏を保っているのです。

私自身プラクティスを通して色々な経験をしてきました。だから他の人の練習を見たときに、いろんなことが手に取るように感じられます。自分もかつてやったことがあるから。こうやって私は自然とヨガ・ティーチャーになったのだと思います。

ヨガを教えていることを理由に「練習をしないと」とか、「この本を読まないと」とか、「こういう生活をしないと」とかって、すごく教えることがおっくうになりそう。
だから私は、一人一人が自分らしいプラクティスを見つけ、それを教えることに意味があるのだと思っています。